様々な学問を勉強していくと、それぞれの学問は、’概念’という見えないけど、確実に存在するもので出来ていることに気づきます。
この概念全体を俯瞰して把握することで、知識が教養となり、学びを実際の生活に活かせるようになります。
逆に言うと、’概念’全体を捉えられないと知識を上手く早く活かすことは難しく、程なくして忘れてしまいます。
勉強したことを忘れないためにも、概念化させることが重要です。
概念の形は、脳内のシナプス同様アメーバ状に広がっており、マインドマップという名前で活用されたりもしています。
また、GoogleのSEO対策にも適応しており、きちんと概念化されている記事はSEOに強かったりします。
概念とは、ゲシュタルトとも言いますが、一言でこれを言い表すなら、’公理’かと思います。
公理とは、その学問の命題を解く時の前提条件であり、これは
宗教学でいうなら神のことばであり、
数学なら公式であり、
物理学なら、法則のことです。
前提条件が仮定されると、その上に論理が乗り、概念が創造されます。
人はそれぞれ個別の概念を持っており、学びにより新しい概念を獲得していき、獲得した分、視野が広がります。
では何故、人はなぜ学ぶのか?
何故、新しい概念を獲得し続けるのか?
なぜ学問があるのか?
それは、抽象度の高い概念に論理をもたらすためです。
抽象度の高い概念とは何かというと、
愛や美や調和といったものです。
そこに論理をもたらすとは、
愛とは何か?
なぜ美しいと感じるのか?
調和した世界とは?
こんなようなフワッとした問いに答えることです。
例えば、脳科学における美とは何かというと、脳にかかる負荷が軽いものだったりします。
負荷が少ないほど、美しいと認識することが分かってきています。
ただ、この概念という目に見えないものに人間がアプローチするには、数字や言語、メタファーあるいは神の言葉といったツールしか人間は持っておらず、人の意識では限界があります。
よく、自分を変えるには環境を変えなさい、などと言われますが、あれはなぜかというと、その環境自体が持つ概念が、人の無意識に働くからです。
家や物、草や生き物などそれぞれが固有の概念を持っており、それを意識ではあまりフォーカスしませんが(波動として感じれる人は結構います)、無意識では自然と影響を受けるのです。
学問によって、真理に近い概念を学ぶこともできますが、それは意識下でのことでしかありません。
人はほとんどの感覚を無意識に働かせて生きています。
だから、良い環境で過ごせば、自然と無意識にその影響を受けるので、勉強するよりも早く、確実に、自分を変化させることができるのです。
この影響のことを、ある学問では運気と呼んだり、波動と呼んだりしますし、科学では、変性意識状態での自己催眠と呼んだりします。
概念というフワッとした目に見えないものには、それぞれ固有のパラダイムが存在します。
この存在をきちんと認識できることで、人はいつからでも、成長できるし、変化していけるわけです。
パラダイムとは、前提条件や常識のようなものです。
サラリーマンというパラダイムでは、朝から晩まで毎日、60歳ぐらいまで働くというパラダイムがあったりしますし、スペインでは缶ビール1本までは飲酒じゃないというパラダイムがあったりします。
これは、人以外にも当てはまり、家や食事、自然、動物、虫など、あらゆるものに固有のパラダイムが存在しています。
パラダイムのことを、風水のパラダイムの中では、運気や波動と言ったりしますし、有神論者のパラダイムでは、神の啓示だったりしますし、無神論者のパラダイムでは、変性意識状態における無意識への影響だったりします。
人それぞれによって、どのパラダイムを採用するかはお任せしますが、大事なことは、あらゆるものは情報を発信していて、我々はそれを無意識にキャッチしているということです。
そして同時に我々自身も、自分のパラダイムを常に発信していて、周りに色々な影響を与えているのです。
よく、自分らしく生きるには?などと、言われますが、あれはどういうことかというと、自分の中のパラダイム(前提条件や常識)がきちんと論理的に体系化している状態を言います。
自分という概念がまとまっている状態です。
自分の概念化が進んでいる人は、必然、その概念の情報密度が濃くなります。
すると、言葉の重みが違ってきますし、当然影響を与える人になります。
何故なら、情報は、情報密度が濃い所から、薄い所に流れていくからです。