少し前に「嫌われる勇気」というアドラー心理学についての本を読みました。
今日はそのまとめと僕なりの意見を書こうと思います。
まず、結果から言うと、とても為になる本でした!
悩んでいた部分がきちんと説明されていたので、
マインドセットで悩んでいる方は為になると思います。
ただ、全部が賛成というわけではなく、反対な部分もありました。
今日はその辺も含めて書こうかと思います。
アドラー心理学は目的論である。
アドラーのいう目的論は、
そうではなく、目的があるから、感情を作り出すのだという。
例えば、誰かに怒鳴ったりするのは、
怒鳴る目的のために、怒りの感情を作り出したという。
これは少々勘違いを起こす言い回しだ。
これは前提として、その人が、極めて理性的であることを求める言い回しだ。
(全体を通して、言い回しが断定的)
感情で動く動物みたいな人は、そもそもいないような言い回し。
理性的な脳だけが、動物的な脳をコントロールできるし、
怒鳴る目的のために、怒りの感情を作り出しているのであれば、
理性的に怒る必要がある。(けっこう難しいと思うが)
つまり、アドラーは、理性的であれ!
しかし、僕はその意見には、少し反対だ。
たしかに理性的であることは正しい。
でも、感情が目的によって作られるというのは違う。
怒鳴りたいから、怒りを作ることはない。それは過激な屁理屈だ。
正確にいうなら、怒鳴りたい感情を許す理性がいるだけである。
理性が怒鳴れ!と感情をコントロールすることはない。
感情は感情であり、我々は動物でもあるのだ。
本当の自由とは理性が決めるもの
アドラー(著者)は、
これは哲学者のカントも同じ意見だ。
自分の欲のために、人に認められたり、感謝されるために、
これには、僕も賛成だ。
本当の自由とは、理性が決めるもの。
理性こそが目的を決めることができるし、人類を繁栄させてきた。
でもだからといって、
それが本当の自由意志でなく、
人は理性だけで生きているわけではない。感情や欲も持っている。
船に例えるなら、理性が舵で、進路を決めるものであり、
感情や欲のままに進むことは、
でも、人に認められたり、
エンジンも必要だと思う。
ただ単に、理性で感情をコントロールできていれば良いだけだ。
アドラーは、他人を褒めても、叱ってもダメだという。
他人を褒めることは、「能力のある人が、
劣等感を生み、
だから、褒める代わりに感謝を届け、横の関係を築こうと進める。
これは、僕は半分反対だ。
横の関係を築き、感謝することは良い。
でも、褒めても叱ってもよいとも思ってる。
ただ、相手による。
理性的に感情をコントロールできる人に対してであれば、
褒められることは大きな喜びだし、それを否定することはない。
喜びは喜びとして、活力になるし、
叱ることも、それにより気づきを得て、成長できる。
だが、通常の場合、中々ずっと理性的でいられないだけだ。
褒められても、感情的に動物的に喜んでしまうし、
もし社会がもっと成熟して、
もっと感情的になれ!情熱的に生きろと。
全ては自己受容からはじまる
僕が嫌われる勇気を読んで一番ためになったのは、「
人は知らずに自意識にブレーキをかけてしまう。
それは今の「できない自分」を受け入れられないから。
60点の自分をさらけ出せない。
普通の自分を認められない。
人に笑われたくないし、バカにされたくない。
だから無理に、自分はできる!と思い込もうとする。
でも、本当は60点の自分を受け入れる必要がある。
アドラーも大事なことは、変えられるものと、
交換不可能な自分の肉体を受け入れて、ありのままの「
そして、変えられるものを変えていく勇気を持つ。
われわれは能力が足りないのではない。変える勇気が足りないのだと言っている。
これ以外に、他者信頼、他者貢献、共同体感覚などの話があるが、
自分を100%受け入れて、
嫌われる勇気は、自分を受け入れる勇気。
ある人にとってそれは、自分が日の光をたっぷり浴びた向日葵ではなく、日陰で暮らす雑草だと認識する勇気になるかもしれない。
それでも、あるがままの自分を受け入れるところからしか、変化を起こすことはできない。
自己受容については、音声も収録しました。
https://youtu.be/d0ehB0IKV0k
上の前編は成功者の思考法について
https://youtu.be/-x3V3BKsfMs