人に与えよう
人に尽くす人生を選ぶべき
という意識が蔓延してるように思ってます。
これは同じことを自分も言っていたのですが、
受け手の意識一つでとんでもない事態を招く可能性があるので、
そこに警鐘を鳴らすべく、ブログを書こうと思いました。
結論を言えば、自分を愛してない状態で、
人のためを思うことが自信を喪失させるのです。
これは端的に言えば、自己犠牲の精神が根底にあります。
人ってそもそも、自信がある人少ないです。
元々、それほど自分に自信がない人が、
「人に与えよう!」
「人に尽くすことこそ、人生の目的!」と、
奉仕の心に芽生えて、「人のために、人のためにと」念ずるように活動していくと陥る現象です。
これは自分がまず、そうでした。
自分にさほど自信もないのに、人のために頑張っていたのです。
人のために!と思うことは、顕在意識でそう思うわけで、実はこの裏で、自己犠牲を思っているのです。
無意識に自己犠牲を思うわけなので、無意識に自分を否定する。
無意識には善も悪もないので、それをずっと刷り込み続け、なぜか分からないけど自信が持てない。
そんな状態に陥るのです。
そこでなぜこうなるのか考えました。
この前提となる原因は、小さい頃から二元論を刷り込まれてきたからです。
善と悪がいる。
陰と陽がある。
物質と精神がある。
光と影がある。
戦争と平和がある。
このような二元性を人は知らずに刷り込まれています。
この二元性的発想をベースに物事を考えると、勿論ですが、二元性を体現します。
良いことをすれば、悪いことも生じる。
こんな世界から抜け出せなくなります。
意識の中で言語化すると、その瞬間に二元性が出てきます。
相手を好きになろうと思うと、自分を嫌いになろうと無意識に思うのです。
なぜかというと、相手を好きになろうと思う時、
常に裏では、好きになっていない自分の否定があるからです。
もっと好きにならなきゃと思えば思うほど、好きになっていない自分を否定する。
人に与えようと思うと自信を失い、
人を好きになろうと思うと自分を嫌いになり、
お金を稼ごうと思うと全然稼げず、
有名になろうと思うと人気がなくなる。
与えてない自分はダメ
好きになってない自分はダメ
稼げてない自分はダメ
有名になってない自分はダメ
こんな風に無意識に思ってます。
だから意識が現実化して、自信を持てず、結果目標も達成できない。
この原因は、大元は自分を愛していないからです。
自分もある部分で、自分をうまく愛せていなかったです。
今に満足して、今に感謝できたら、自ずと自分を満たすことができます。
自分を満たせれば、自然と相手へも良い影響を与えることができます。
その影響は良い循環となり、結果人に好かれたり、ビジネスが上手くいったりします。
じゃあどうやったら、自分を愛することができるのか?
それは慈愛の心を育むことが有効です。
その心で自分を慈しみ、愛する。
まず、慈愛の心を自分に向ける時、言葉を使わないで、右脳的に感覚で感じましょう。
言語化しなければ、二元性は発揮されないので、トラップにかかることはありません。
慈愛の心を育むには、様々な方法がありますが、一つオススメは神社に行くことです。
神社で願い事をするとき、今ここに在ることに感謝を捧げてみましょう。
何かを願うのではなく、ただ今の全てに感謝する。
神社という神聖な場所が魂を清めてくれます。
宗教の本質はここにあるなあと感じます。
自分は端的には、マーケティングをお伝えしているのですが、
マーケティングの本質は、人とのコミュニケーションです。
広告やメディアを通じて、いかに人とコミュニケーションを取れるか。
その結果モノやサービスが売れるのです。
そのコミュニケーションの本質は、「自分の心の在り方」にあると考えてます。
それは元々備わっている人もいますし、後天的に理解できる人もいると思いますが、
伝えたいのは、今この瞬間から誰でも学んで、経験できること。
その「気づき」に気づくことが重要だと考えてます。
正直なところ、二元性について考察を深めると、
人に影響を与えること自体、無意味に感じ、押し付けであるとも感じます。
何故なら、人はこの二元性を経験するために生まれてきたとも言えるからです。
それでも、まだやれることがあるうちは、とにかくやっていこうと考えてます。
それも自分の経験であると思うから。
今日は色々と思うところがあり、とりとめなくなってしまいました。
それではまた!